大きな木樽が伝えるのは、先人が築き上げた味噌づくりの知恵。
昔ながらの職人技が守り続ける味わいは、徳島・鳴門の風土がはぐくんできた文化そのものでもあります。
徳島・阿南に木樽を絞め込む「箍」の職人さんがいて、きちんと手入れをするとともに、若手木樽職人と一緒に新しい樽の制作も進めています。つくって間もない樽で仕込む味噌は塩角が強く、風味としては今ひとつなんですが、100年以上かけてじっくり「育てる」ことで一人前の樽になるんです。
─ 100年後のことを考えて今行動する、スケールの大きい話ですね。
わたしが100年後の樽の成長を確認することはできませんが、今わたしたちが使っている樽も、そうして昔の人たちがつくり育ててきたものであるはずなんです。味噌づくりの文化を継承するなら、そのくらい先を見なくてはならないと日々感じています。
大学などと連携して木樽の効能研究も進めていて、プラスチック樽で仕込む味噌に比べて木樽の発酵量は2倍にもなるという結果もわかってきました。一年の製造スパンで考えると、これはとんでもない差ですよ。味噌づくりにとって、木樽は米麹と同じくらい重要なんです。
─ 米麹も手づくりなんですね。
米麹から手づくりで仕込むところは全国でも少なくなりましたが、わたしたちは昔のままの力を信じて、昔のままやっている。発酵文化の原風景をいかに残すかがテーマで、天然のものだけを使って仕上げています。
─ 麹のつくり方を教えてください。
甑(こしき)という蒸し籠で米を蒸し、杉台の上にござを敷いて冷ましつつ種麹を振ります。その後は40時間かけて、湿度・温度を管理しながら麹の成長を見守る。環境によって甘味や旨み、アルコール生成などの塩梅が変わってくるので、天窓をわずか指一本分開くだけでも違いは大きいんです。そのあたりの判断は代々やってきたからわかることですね。全体の動きを把握し工程をコントロールするのが杜氏の仕事で、わたしも40時間不眠で1時間おきに様子を見ています。同業者には「まだそんなことをやっとるんか」と言われますけど(笑)。
─ よく見ると井上さんの手、すべすべ!
昔から、麹に直接触れる者の特徴です。昔ながらの麹づくりは個別授業のようなもので、麹にも出来のいい子悪い子がいる。どんな対応が一番その子に合うか、あらゆることを手のひらのセンサーで感じ取って判断するんです。麹をつくるというより「麹に育ってもらうお手伝いをする」というあたりも、子育てに通じますね。
この後の工程で塩を混ぜると麹菌そのものの活動は止まり、あとは麹菌がつくった酵素を大豆や米などと反応させることで、味噌ができます。麹をつくる段階でこの蔵に合う酵素を生み出すことと、蔵に息づく天然酵母菌の力が、おいしい味噌をはぐくんでくれるんです。発酵の世界はまだまだ奥が深い。せめて今わかっていることを、しっかり守ってつくることが大事です。
─ 五右衛門風呂のような立派な鉄の和釜がありますが…
これは味噌のベースになる豆を炊くためのもの。半日かけてじっくり炊き上げます。昔と違うところといえば、以前は薪で炊いてましたが、火力が強い反面炊きムラもあるので、今は遠赤バーナーを使っていることくらい。鉄釜は豆のコンディションがわかりやすいので、五感を使って炊き具合を確認しながら、一番いいタイミングで止めます。経験で何となく「今だ!」とわかるものです。
─ 本当に昔ながらの職人技なんですね。
炊き上げた豆は「手箕(てみ)」に打ち上げるんですが、この手箕が少なくなってねえ。探してるんですけどなかなか見つからなくて。味噌づくりに必要なことは、道具が教えてくれるようなものなんですよ。木樽もそうですが、道具を引き継ぐことが重要で、そこには昔の知恵が詰まっているんです。変わったことをしようとしても、道具が許してくれない。
もちろん、一方では刷新できるところ、すべきところもあります。たとえば洗米機は、気泡が弾ける衝撃でぬかと米を分離させるという最新鋭タイプです。新しいものを導入する際は、「切り捨ててしまうものがないか?」と熟考し、常に時代の流れの中で「最適」を模索し続けていくつもりです。
─ お店にたくさん置いてある陶芸作品も気になります。
一部はわたしがつくったものなんですよ。陶芸はわたしにとって、いわば「解毒」のようなものです。若い頃は工業デザインを学んで、VRなんかも手掛けていました。そういう最先端の技術に触れるうちに、「仮想現実を扱うなら、まず現実を知らなくては」と思い立って、モンゴルに1年留学したんです。その時に実家の味噌のおいしさをしみじみ感じて、今に至るというわけです。
─ 味噌文化は土地柄も出ると思いますが、全国展開をする上で文化の違いを感じることはありますか?
瀬戸内は甘口好きなので白味噌が人。煮込み料理やソースなどにも使えるねさしは関東で好まれ、トップシェフにも使っていただいてますね。塩味のしっかりした御膳味噌は、徳島ならではと言えるかな。当社の御膳味噌は鳴門の塩をはじめ徳島近隣の原料にもこだわっています。
「昔ながらのもの」という点では広いニーズがあって、そういう人たちに届けるために、数年前からブランド化を進めています。でも、本当のところ、究極は「地元で売れること」だと思うんですよ。
─ 味噌文化は土地柄も出ると思いますが、全国展開をする上で文化の違いを感じることはありますか?
瀬戸内は甘口好きなので白味噌が人。煮込み料理やソースなどにも使えるねさしは関東で好まれ、トップシェフにも使っていただいてますね。塩味のしっかりした御膳味噌は、徳島ならではと言えるかな。当社の御膳味噌は鳴門の塩をはじめ徳島近隣の原料にもこだわっています。
「昔ながらのもの」という点では広いニーズがあって、そういう人たちに届けるために、数年前からブランド化を進めています。でも、本当のところ、究極は「地元で売れること」だと思うんですよ。
─ 「地域密着」というだけではない響きを感じますが…
味噌文化は「地域の食文化」の象徴で、その土地のクセみたいなもの、「なぜこういう味なのか」から地域を考える重要なヒントです。木樽をはじめ道具類も、その土地の杉や竹でつくることが本来は重要。いろんな地域の違いや多様性をこそ楽しんでほしいから、わたしたちの味噌が「全国スタンダード」になってはいけないんです。徳島、鳴門の文化に根ざし、地元の人たちに愛される味わいとして、全国にも発信しているつもりです。
─ 他地域から学ぶこともありますか?
全国の有名蔵は結構回って、どういう思いでつくっているかを共有したり、土地の環境や文化を学んだりしています。各地に同じようなことを考えている人はいろいろいて、そういう人たちと仕事をしたいですね。消費者に対しても、単純に「食べてください」ではなく、わたしたちの技術を知ってほしい。妥協のないものづくりで文化を伝えていくために、失敗と成功をこれからも重ねていくでしょう。いつかは土壁の蔵を取り戻すのが夢です!
<3つの質問>
「はたらく」とは:
承継。7代目という重みを感じることもありますが、「次にどうつなげるか」を考えるようになってからは、そのための作業が多いと実感しています。利益より継続、つなげることを重視しているつもりです。
「食べる」とは:
101歳のおばあちゃんが健在な様子を見ていると、「食べる」とは「生きる」ことそのものだなと思います。身近なものを食べて、身の回りにある「食」を大切にすることではないでしょうか。
「はぐくむ」とは:
伝統をつないでいくために、人々が伝統と向き合える環境をつくること。今、私たちは伝統文化を失いつつありますが、さらにグローバル化が進んだら伝統文化こそが日本のアイデンティティになると思うんです。衰退していくものに目を向けるのは難しいかもしれませんが、次の世代、子どもたちに何とか伝えたいですね。
(編集後記)
今回の取材を通して強く感じたのは、 井上味噌醤油の仕事は「発酵食品をつくる」ことではなく、 時間と環境と人の営みを正しくつなぐ仕事だということです。
木桶、麹菌、気候、職人の判断。
そのどれか一つでも欠けると成立しないにも関わらず、 日々変化する条件の中で最適な管理を積み重ねていく。
その姿は、製造というよりも“自然との対話”に近いと感じました。
特に印象的だったのは、
● 数十年〜百年以上使われ続ける木桶を、 「設備」ではなく「資産」として捉え、次代に残す視点
● 原材料の産地や処理方法の違いが菌の働きにどう影響するかを日々観察し、微調整し続ける姿勢
● 昔ながらの製法と新しい機器・技術を対立させず、“活かすところだけ活かす”バランスの良さ
● 小売・業務用・観光・オンラインなど販路の変化に合わせ、味づくりも包装も柔軟に進化させてきた判断力
といった 現場発の改善 × 伝統継承 × 市場理解 が高いレベルで同時に存在している点でした。
これらの取り組みは、本来であれば一次産業・二次産業・六次化・ブランド戦略と複数の領域にまたがるものですが、井上味噌醤油はそれらを自然に行き来しています。
その姿はまさに、 役割の境界を越え、価値をつなぎ合わせていく「インタープレナー」 そのものでした。
伝統を守りながら、時代に必要な変化を取り込み、改善を続けることで未来へ橋を架けていく。
こうした営みは、地域の食文化を支えるだけでなく、多くの事業者にとってのヒントになると感じています。
NARUTO BASE は、地域の価値をつくり続ける皆さまとともに、こうした実践をこれからも記録し、支え、広げていきたいと思います。
ブエナピンタ株式会社(THE NARUTO BASE)
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