江戸時代の暮らしがリアルに目に浮かぶような、古い蔵のたたずまい。約200年の歴史をつむぐ福壽醤油の醤油は、この静かな蔵で、人為的な温度・湿度管理をしない完全自然発酵でつくられています。
まず醤油づくりの工程からご説明しましょうか。最初に炒って砕いた小麦と、蒸した大豆で麹をつくります。湿度80%、室温30〜32度のムロに丸3日置いて全体的に黄色っぽくなったものが「醤油麹」です。
できた麹に塩水を加えた「もろみ」を2.5m深さの木槽で最低1年は寝かせ、醤油らしい色や香りをはぐくみます。ときどき手作業で櫂を入れて攪拌・発酵を促し、1年以上経ったもろみをしぼったものが「生醤油」。搾りたては本当においしいんですが、この状態では3日ほどしか味が持ちません。ここから火を入れて、はじめて流通する醤油が完成します。
─ 昔ながらのつくり方なんですね。蔵もものすごく風情があります。
柱や壁が白く見えるところ、あれはすべて麹菌なんですよ。菌の歴史や環境で、醤油の味が決まるんです。うちのルーツは九州・松浦で、先祖は海賊を取り締まる水軍だったとも聞いてます。初代の利八郎が徳島に上陸したのは江戸中期のこと。文政9(1826)年、二代目・平兵衛が醤油醸造を始めました。建物は創業当時のものではないようですが、少なくとも江戸期のものらしい。その頃から今に続く、わたしたちの大切な菌です。
─ 松浦さんが九代目として大切にしていることは?
「味を変えない」こと。わたしの代になっていろいろ刷新した部分もありますが、大量生産や効率化は考えませんでした。完全自然発酵ですから、正直なところ毎年の出来に波はありますが、なんといっても200年間お客さまに支持されてきた味です。「県外に出た息子が醤油がおいしくない言うから、これを送るんや」という人も少なくないですよ。
─ 商品ラインナップも多彩ですね。
色が濃くて大豆の香りが特徴的な、一切味付けをしていないプレーン醤油をベースに、少しずつ味のバリエーションをつくっています。原料の大豆も醤油によって使い分けます。ドレッシングなど新しい調味料を開発する時も、「あの醤油を使っているからおいしい」と言われたい。流通している市販品は大抵アミノ酸などを添加していますが、自然な素材にこだわる人も増えている時代ですからね。
─ 飲食店などでも人気が高いのでは?
わたしもそう思って営業してみたんですよ。素材にこだわる料理店でも調味料までこだわるところはまだ少ないし、これはチャンスだと。それで地元名物の徳島ラーメン店を何軒も回ってみたら、どこも「おいしい醤油だね、でも無理!」と言われて。よくよく訊くと、飲食店もまた「その店の味」にファンがいて、まずくなるのもダメですが今以上においしくなってもいけないそうです。とはいえ、お店をいったん閉めてまで味をリニューアルし、オール徳島素材で当社の商品を使ってくださるお店もあります。
─ 長い歴史のある家を継ぐことに、抵抗はありましたか?
小学校くらいからなんとなく「いつかやるんだろうな」とは思ってましたね。とはいえ人並みに反抗期も経験し、大学卒業後はしばらくマンション販売の営業で全国を飛び回ってました。
─ マンション販売! 醤油業とはずいぶん遠いイメージですが…
宅建も取ったし、ちなみに教員免許も持ってます(笑)。マンション販売は就職浪人を避けたくてたまたま飛び込んだ業界だったんですが、マンションって一生に一度の大きい買い物でしょ? 決断していただくためには「お客さまを感動させろ!」と叩き込まれたことは、今も大切にしています。
─ その後はすぐに家業へ?
いえ、東京の人材派遣会社でも営業を経験しました。在職中に外資系M&Aで業界世界第二位の大手企業になって、わたしも大手から零細までさまざまな企業と出会うチャンスを得て。わたしにとっては「人と人とのつながりが一番大事」と再確認した時期ですね。
─ 徳島にはいつごろ戻ってきたんですか?
30歳の節目を迎え、結婚を機に家業を継ぐことを決めました。
─ 先代も喜ばれたのでは?
喜んでくれているとは思うんですけど…父はわたしと違って職人気質ですが、生き方を押し付けられたことはまったくないんですよ。戻ると伝えた時も「お前の好きにしたらええ」と言ってくれました。それで醤油造りの職人となるか、売り方として表に立つか考えた時に、わたしは広報の方が自分に向いているなと素直に思ったんです。
─ 醤油が変わると料理の味が大きく変わるといいますものね。
そうなんです、料理のメインではないけどスーパーサブ、それが醤油です。スーパーに行くと、パッケージは違えど同じ「黒い液体」がずらっと並んでいて、その中でお客さまに選ばれるのは本当に大変なこと。価格で言うと一般的なメーカー品より高いんですが、「どっちがおいしいか」で判断してほしいですね。そのために、わたしはお客さまに「味を知ってもらう」「見学に来てもらう」ことを重視しています。
─ 来てもらえたら勝算はあると。
わたしはこの醤油で育って、世界一おいしいと思ってますから、自信はありますよ。一般人からプロの料理人まで、さまざまな工場見学や体験学習を年間300回は受け入れていますし、日本醤油協会の食育事業で、「しょうゆもの知り博士」として子どもたちに出前授業をすることもあります。
50年前には全国に1万軒あった醤油屋が今や1100軒、そのうち自家製造は大手メーカーを含め130軒以下。「味を守る」とともに「味を伝えていく」のが、わたしの仕事だと思っています。
─ どんな風に味わってほしいですか?
日常的にバンバン使ってください! 醤油は寝かせればいいというわけでもなく、特に酸化が大敵です。理想的には開封1カ月以内、それが無理でもなるべく3カ月、最悪でも半年以内には使い切ってほしい。直接ご来店くださったら、使い方を伺ってご提案もします。ぜひ当社に足を運んで、心ゆくまでテイスティングしてみてください。
<3つの質問>
「はたらく」とは:
はぐくむこと。私の仕事そのものが、はぐくみ育てることです。
「食べる」とは:
働くこと。口に入るものをつくるという意味で、「働く」「食べる」は私にとって直結しています。
「はぐくむ」とは:
食べること。食べることを通じて、食と文化、伝統、さまざまなものをはぐくんでいます。
(編集後記)
今回の取材では、福寿醤油の現場に深く触れることで、「木桶仕込みを守る」という言葉では語り切れない、より広い意味での“継承”と“進化”を感じることができました。
まず印象的だったのは、百年級の木桶がいまなお主力設備として稼働しているという事実です。
単なるレトロ資産ではなく、菌の棲家であり、醤油の骨格を決める不可欠なパートナーとして扱われている。
その一本一本の状態を把握し、補修しながら使い続ける姿勢には、長年の経験と環境理解が積み上がった確かな技術を感じました。
また、麹づくりから熟成管理、味の判断にいたるまで、設備だけに頼るのではなく、「人の目」「人の勘」「人の責任」を丁寧に残している点も特徴的です。
同時に、効率化や衛生管理の観点から新しい機器や手法を徐々に取り入れていく柔軟さもあり、伝統と改善が矛盾せずに同居していることがとても印象的でした。
注目すべきは、こうした醸造の現場だけにとどまらず
● 工場見学や体験の受け入れ
● 直売所や土産需要への対応
● 小売・飲食・業務用の複数チャネルへの味づくり
● 地域との連携やストーリー発信
など、複数の領域を横断しながら事業を展開している点です。
醤油づくり、設備管理、観光受け入れ、販売、企画、発信。
一見バラバラに見える領域を自然につなぎ合わせ、小さな改善を積み重ねながら前へ進めていく姿は、まさに インタープレナー的な実践者だと感じました。
“家業の延長”ではなく、“地域の価値を支える事業”へと視点を広げていく福寿醤油の姿勢は、これから地域で製造業や食文化を担う事業者にとって大きな示唆を与えるものだと思います。
NARUTO BASE は、これからもこうした現場の営みを丁寧に記録しながら、同じ志を持つ皆さまとともに、地域の価値創造を次の世代へつないでいきたいと思っています。
ブエナピンタ株式会社(THE NARUTO BASE)
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